おいしい肉

 戦時中は、肉は配給制で、中学生だった私も店を手伝っていました。私は牛肉も豚肉も脂身が苦手でした。すき焼きは赤身のところを拾って食べ、とんかつは衣をはがして、脂身を取って食べるという風でした。ある時、中国の豚肉が配給になりました。その豚肉は赤身の部分が三分の一か、四分の一と思えるくらい脂身の多い肉でした。いつものような赤身と脂身の割合になるように脂身を除くと、決められた世帯数に配給する量に足りなくなってしまいます。すっかり困って、ともかく食べてみることにしました。

 それが、おいしかったのです。脂身もおいしかったのです。そんなことがきっかけで、肉を食べる楽しみがぐんと増えました。肉のそれぞれの味がこんなにも違うのかと、何の肉を食べても、おいしさとともに、味の違いを味わうのも楽しみになりました。肉に触れながら、肉の見た目、触感など、味との関連が徐々に感得されるようになってきました。

肉屋の営業形態により、立ち(生体)、枝肉(骨のついた肉)、部分肉(骨を取って部位に切り分けられた肉)など、仕入れるときの肉の状態はさまざまです。そのそれぞれで、肉についての受け取れ る情報が異なります。まず血統や飼育についての情報が得られ、かつ肉を直接見られ、触ることができて、さらに米粒程度でも生肉を食べられたら、これは熟成したらおいしくなるとか、柔らかいだけでおいしくはならないとかが、よく判るわけです。もちろん、得られる情報を最大限に深く理解できる知識と、磨かれた感覚がなければ鑑別はできません。問屋まかせの仕入では、せいぜい見た目はおいしそうな肉が揃えられても、本当においしい肉は揃えられません。お客様から「お宅の肉は本当においしいですね」とか「お宅の休みに他の店でお肉を買ったら子供達が食べないのよ」などと伺うと、お客様においしい肉をお届けできていることにほっとするとともに、何ともいえない喜びを覚え嬉しくなります。

 やがて、鑑別によっておいしい肉を揃えられたこうした時代が、変化してきました。

 世界一おいしいといわれる日本の牛肉とは、黒毛和牛です。おいしさを大切に伝える努力がされてきたこの和牛を含めて、牛・豚・鶏肉とも、コストを下げるための研究開発が進められるようになりました。コストが下がれば、肉の量も、食べられる人の数も増えます。それは当時でも現在でも、地球規模で考えても必要なことといえます。しかし、それがすべてであってはいけないと思うのです。

 多くの先人達が、長い歴史を重ねて築いてきた文化は、食の面でもすばらしいものだと思います。おいしいということは、食文化の大切な一面です。物質文明を進化させる上では、コストを下げることは大切ですが、そのために「おいしい」を失ってはいけない。食文化を壊してしまわずに、維持し、高めていくことも、現在を生きる者として果たさねばならないことと思います。

 しかし、昭和三十年代より、一般に生産される肉はコスト第一の考えでつくられるようになり、おいしい肉が市場から消えていくようになりました。おいしい肉を売るためには、生産者とともに、おいしい肉をつくることから始めなければならなくなってきました。

「おいしい肉〜肉から学んだ食の幸 松澤 秀蔵 著(株式会社松金 元代表取締役)」より


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