憧れの牛肉

 私が育った東京の板橋は、中山道沿いの古い宿場町ですが、平均的には、あまり所得の高くなかった地域だったでしょう。そこでも私の小学生の頃は、牛肉は豚肉の三倍位の価格であったと思います。その頃売られていた牛肉は、あまり高級な品ではなかったはずですが、それでもその位の価格差でした。売られていた肉もほとんど豚肉で、牛肉の値段の出ていない店もありました。当時はすきやきは大変なご馳走でした。戦前、子供の時に、とんかつは食べたことはありましたが、すきやきの記憶はありません。

 そんな高嶺の花のような牛肉が、戦時中の配給制ですべての人の食卓にあがるようになったのです。私もその頃から牛肉の憶えが鮮明になります。

 当時はどんな牛の肉なのか判らず、私の店でもただ食肉組合を通じて配給された品を処理するだけでした。今振り返って考えてみると、大部分は朝鮮牛で、ごく稀に和牛があったのではないかと思われます。それまでに食べた豚肉とは違った味と香りは、とても食卓を楽しいものにしてくれました。

 戦時中は、牛や馬は農耕用と軍用のために各地で多く飼育されていましたが、豚は食用だけでした。飼料も残飯等に頼っていたために、大規模な養豚はもちろんなく、数頭飼育するところさえ少なかった位です。そのために戦後しばらくは、豚肉が牛肉より高価でした。そして戦中戦後の食糧難の時代に、関東では牛肉を食べる習慣のなかった大勢の人達も、豚肉より安い牛肉を食べる生活を体験した訳です。

 ゆとりのある時代ではなかったので、牛肉をどれだけの人達が、楽しめたかは判りませんが、身体は覚えていたのではないかな、などと思っています。

「おいしい肉〜肉から学んだ食の幸 松澤 秀蔵 著(株式会社松金 元代表取締役)」より


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